「僕は南の島で愛する君と再会した。」
白の1/黒の1/白の2/黒の2/白の3/黒の3/白黒の4/黒白の5/白の6・黒の6
<黒白の5>
写真を見た麻里が、私の顔を見て言った。
「にいにゃま?」
「なに!?」
イントネーションで判った。麻里は私の名前を呼んだのだ。
だが何故だ。名乗った覚えはない。
いや・・・そうだ、麻里は私の昔の写真を持っていた。
それが誰かを知っていた可能性は高い。
そして私は、麻里にそれを私の写真だと言った。
麻里は目の前にいる老けた男が、自分の持っていた写真の人物と同じだと、なんとか理解したのだ。
「誰に聞いた・・・飯山玲二の名前を誰に聞いたんだ!」
「・・・にゃう?」
娘は首を傾げるだけだ。
しかし答は判りきっている。母親に聞いた以外ありえない。
だが何故だ。どうして羽村が娘に私の名前を教えるのだ。
過去騙した馬鹿な男として?
ならどうして、私の写真を麻里が持っている?
私は混乱し、クルーザーの船室に駆け戻る。
「にいにゃま?」
麻里の声を背に、エンジンを急いで始動し、一気に船を港から出した。
遠ざかる岸で、麻里はずっとこっちを見ていた。
沖まで出たところで、クルーザーの速度を緩めた。
報告書を手に取る。
読みたくはなかったが、私はそれを読み始める。
疑問に対して、何らかの答があるのを期待して。
だが、おおよその内容は判っているつもりだった。
羽村が、父親の治療費の為にデータを盗んだのは、報告されるまでもなく判っている。
その後どうなったか知らない。父親は羽村ともども行方不明になった。
もう存命していない以上、治療の甲斐なく死んだのだろうが。
「・・・なんだと」
最初の推測からして間違っていた。
あの、私の薬を奪った大手の製薬会社が、羽村を脅迫していたのだ。
父親の入院している病院に、その会社は絶大な権力を持っている。
もし新薬のデータを盗めないなら、父親の治療を故意に失敗させ、明日にでも死なせると。
羽村は当然、僕に相談する時間など与えられず、データを盗むしかなかった。
だが実際には、父親は翌日死亡している。羽村も重傷を負ったが、逃げ延びた。
要するに彼女と父親は、製薬会社の口封じを受けたのだ。
羽村は逃げ回った。私からではない。製薬会社からだ。
会社が倒産した後も、羽村はしばらく逃げ続けていた。
逃げるのをやめたのは、10年位前。
その後、私を探そうとはしたのかどうかは判らない。
それは、私の方も世間一般では消息不明になっていた時期だ。
しかし羽村は、自分の行動で私を破滅させてしまったのを充分知っている。
接触を持とうとしなかった可能性は高い。
「・・・」
僕は、ふらつきながら甲板に出た。
羽村に、他にどうしようがあった?
父親を殺すと脅されて・・・どうしようがあったんだ?
だからか?
ずっと僕に申し訳無い気持ちを抱き続けていたのか?
だから、最後に「ごめんね」と言ったのか?
僕に殺される事で、やっと楽になれると思ったのか!?
娘にもきっと、過去何があったかは話したのだろう。
だから麻里は、私の事を知っていた。
だが何故、私の写真を所持していたのかまでは判らない。
大事そうにパスケースの中に入れて。
まるで恋人か、憧れの人の写真の様に。
それと関係あるのかどうか知らないが、麻里は父親が不明だ。
羽村が逃亡生活の最中に妊娠しているが、何者かに強姦された結果らしい。
当時、一度病院に収容されている。
堕胎を勧められたが、産んだのだ。
母一人子一人で苦労しながら育て上げたらしい。
常日頃、娘が生きがいだと言っていたそうだ。
僕の顔を見た時、麻里は既に殺されたか、それに近い状態だと悟ったんだろう。
最後の生きがいを失った彼女は、僕の復讐心に殉じる事を願った。
でも僕にどうしようがあった?
当時の僕に、彼女の事情を知る手段なんかなかった。
仕方が無かったじゃないか・・・
本当に!?
僕は、羽村ほど選択の余地がない状態だったか!?
僕には、復讐をしないと言う選択肢は無かったのか?
死に物狂いで羽村を探し続ける事は出来なかったのか?
見つかった羽村を殺し、娘を人間で無くする事は、しなければいけない事だったのか!?
僕はどうしてこんな所に来たんだ。
羽村に・・・その娘に・・・取り返しのつかない事を・・・して・・・
いや、そうじゃない。
ずっと前から、僕はとりかえしのつかない事をやり続けてきたんだ。
そして今もそれを続けている。
罪悪感を感じながら。
なぜ?
何故今更罪悪感など感じる?
いや・・・判っていた。僕の薬はとても長い間効くけど、原理的に無限じゃない。
一生より長く効くかもしれないけど、数年で、いやもっと短い期間で切れる可能性もある。
僕が自分に使った薬は、長く効いた方だ。
でも、猫少女に愛を感じ始めた頃には、もう切れていた。
だから同時に思考力も鈍っていき、抑圧していたはずの過去を思い出し始めた。
でも、僕は自分のした事に耐えられなかった。
薬が切れてからも、それまでと変わってないと思いこもうとした。
そうでないと、破滅させてしまった人達、人生を奪った少女達の重さを支えられそうになかった。
でも何が起きてるか認めなかった為に、更に僕は取り返しのつかない事をした。
羽村の事ばかり思い出してしまう事を、彼女への復讐心にすり替えた。
そうやって突き進んだ挙句、羽村を殺し、麻里を切り刻んでしまった。
どちらにも、そんな事をされなければならない様な罪などなかったのに。
僕が今更手を出してはいけない存在だったのに。
何をしてるんだ。
僕はもう気付いたんだ。気付いたからには、戻さなくては。
何もかも遅いけど、でも、戻らなきゃ。戻さなきゃ。
僕はもう戻れない。僕が犠牲にしてしまった人たちだって、もう手遅れだ。
だけど、せめて羽村の娘だけでも、なんとかしないと。
僕はふらつく足で、操縦席に向かおうとする。
クルーザーが、大きな波とぶつかり、甲板が揺れる。
ずっ!
「うわっ!」
甲板で滑った僕は、手すりにぶつかった後、転がって海面に落ちていく。
どぶん!
だ、だめだ、僕は戻らないといけないんだ・・・
羽村の・・・ところへ・・・!
崖の下で羽村や男たちに囲まれ、身動きできないまま、僕は内心ため息をついた。
また、ずいぶん暗い仮想未来だったな。
でも悪いけど、僕はそこまで暗くもないし、後ろ向きでもないし、悪趣味でもないぞ。
いや・・・羽村のあの姿をやたら可愛いと思うから、その意味じゃ少々特殊な趣味はあるんだろうけどさ。
周囲を囲む男達が、口々に僕に呼びかける。
「会長!」
「今、医者を呼んでいます!会長、お気を確かに!」
「にいにゃまぁ! にいにゃまぁ!」
僕にすがりつき、半狂乱の羽村が見える。
・・・羽村・・・誰か頼む、羽村を助けてくれ・・・
『そう思うなら、口をよこせ、若造』
あ? 誰だ?
『誰でもいい。お前が羽村と呼ぶ娘を助けたいなら、私に喋らせろ』
だから、誰だよあんたは。
『わからんのか! もうじき私もお前も死ぬのだ! 間に合わなくなるぞ、娘を助けたいのだろう!』
ああ・・・そうだな。その通りだ。頼む・・・
しゃがれた声が僕の口から出た。
「なぜ・・・ここに来たのだ・・・お前達・・・?」
「会長!?」
「誰も来るなと・・・言っておいたはずだ・・・」
「非常事態なのです! ドールの売買組織が摘発されました。警察機構が、突然制御できなくなったのです」
「他にもあちこちで処置が無効になっています。どうやら会長が昔、処置を手がけた人物に異変が起きているようなのです」
「我々だけで対処を続けましたが、もう打つ手がありません。こうなっては会長の技術だけが頼りです!」
何か頼られてるぜ、おっさん?
『そうか・・・効果が切れたのは、私だけではなかったか・・・』
僕の口が、苦しそうに言葉を搾り出す。
「お前達に・・・最後の命令を伝える・・・・」
「会長!?」
「その娘を・・・絶対に殺してはならん・・・カウンターを与えるのだ・・・そしてお前達は・・・私にかまわず・・・逃げろ・・・」
「しかし!」
「もはや・・・私には・・・何もできん・・・役に立ってやれなくて・・・すまなかったな・・・」
「会長!!」
ばたばたと遠くから、露骨に雰囲気の違う男が走ってきた。医者らしい。
僕の身体を調べ、最後に首を振る。
「にいにゃまぁぁ・・・・」
羽村が泣いている。
ああ、くそ、口を返してくれよおっさん!
『そうだな・・・後は好きにしろ・・・』
「にいにゃ、にいにゃぁ!」
羽村が僕を揺さぶる。
「羽村・・・泣くなよ・・・なあ・・・僕は幸せだったよ・・・?」
「にいにゃ?」
「だって・・・やっとお前といっしょに・・・いられたんだから・・・」
「・・・にゃ・・にゃ・・・」
「でも・・・ほんとは・・・きみは・・・まりちゃんって・・・いうんだね・・・」
「にゃう?」
「もうひとりの・・・わるい・・・いいやまが・・・きみを・・・そんな体に・・・しちゃったのか・・・」
そういう事だろ、おっさん?
乳にほくろのあった、妄想・・・いや回想に出てきたのが本当の羽村で、今ここにいるのは娘の麻里なんだろ?
『すまん・・・』
今更、すまんじゃないだろ、こら。
後悔して閉じこもるくらいなら、最初っからそんな真似すんじゃねえよ。
だいたい、途中で事情を説明してくれれば、もうちょっとやりようもあったんだ。
手遅れになってから出てきてもな。ほんとに使えないおっさんだよ、まったく。
『本当に・・・すまない・・・』
ちくしょう・・・麻里・・・いや僕にとっちゃ羽村だけど。
これでお別れなのかよ。ちくしょう・・・・
「にいにゃまぁっ!!」
「まり・・・はむら・・・あいしてる・・・よ・・・」
最後の呼吸で言った後、僕の視界は急激に暗くなっていく。
羽村が僕を必死で呼ぶ声も、やがて聞こえなくなっていく。
『お前の頃の心を・・・私が失わなければ・・・こんな事には・・・・』
・・・ま、もういいさ。
これから死ぬってのに反省しても遅いし、おっさんだって辛そうだしな。
それよりさ、ぜひ聞きたい事があるんだけどな。
『聞きたい事とは・・・なんだ?』
ミルクだよ。
僕は結局あの子の子猫時代を見損ねちゃったけどさ、おっさんは全部見たんだよな?
なあ、どんなんだったか教えてくれよ。
さぞ可愛かったんだろ?
『・・・ああ、そうだな。あいつは本当に可愛かったぞ。最初は手のひらに乗るくらいでな、親指で脇から撫でてやると、こっちを向いて鳴いてな・・・』
うんうん、それで?
『それから・・・・』
ここ半年の間、彼女がずっと付き従っていた、高校生の様な喋り方をしていた、痩せた中年男が死んだ。
その身体にすがり、少女は泣き続ける。
何が起きていたのかは、彼女に細かくは判らない。
でも、ずっとこの人に尽くしていたかったのに。
哀しくて堪らない。胸が苦しくて痛い。
まるで、ずっと前から知っていた人だったような気がする。
そう、母親が昔を懐かしむように、時々話してくれた人。
最後の時、もし家に居てくれれば・・・そうため息混じりで言っていた。
いろいろ想い出も聞かせてくれた。決して格好よくはなかったけど、一途で一生懸命な、素敵な人だったと。
最初はまるで、その人こそが、自分の父親のような気がしていた。
話を聞いているうちに感情は微妙に変化していく。次第に憧れが生まれていった。
いつか会ってみたいと思っていた。
「にいにゃま・・・・にいにゃ・・・いやぁ・・・いやぁ・・・」
母親の言った通りの人だった。一途で一生懸命で。
母親と間違われていたのかもしれないけど、でも愛してくれたのは事実だった。
それでかまわなかったのに。
こんなに愛してくれた人と、これからもずっと一緒に居たかったのに。
男達はひそひそと話し合う。
「どうするんだ?」
「会長のご遺志だ・・・この娘を処分するわけにいくまい」
「しかし会長は、この娘に耽溺したあげくに、今回の結果を招いたのではないか?」
「そうだ。代替の娘を送っても、まったく手を出さなかった。やはり、異常な固執と考えるべきだった」
「やはりお叱りを覚悟で、別の娘をもっと送り込むべきだったのでは?」
「おそらく無駄だったろう・・・どうやらこの娘は、会長にとってあまりに特別な存在だったのだ。そうとしか思えん」
「会長のクルーザーが無人で放棄されていた意味を、我々はもっと深刻に考えるべきだったのだな。あれは、もう戻らないという意志表明だったのだろうか」
「しかし、我々との接触をあそこまで避けなくとも、この娘を特別に扱いたいのならば、そうご命令下されば、我々とて、もう少し柔軟に対応できた物を」
「もういい。全ては手遅れだ・・・とにかくご遺志の通り、娘は生かしておく。誰か、カウンターを持って来い」
「正気に戻すのか? だが、この先連れてなど行けないぞ」
「そこまでしろとは会長もおっしゃらなかった。だから、この娘は島に置いていく」
「会長のご遺体は?」
「指示はなかったが・・・」
会長に取りすがって泣く娘を、男は見る。
「娘と共に、この島に残そう。会長も、その方がお喜びになるだろう・・・」