わたしの新しい指が、わたしの髪を梳く。
わたしの新しい指が、わたしの髪を洗う。
とてもいい気持ち。
わたしの新しい手が、わたしの歯を磨く。
新しい腕に支えられて、わたしは自分でうがいをする。
香りのいい石鹸が、柔らかなスポンジが、わたしの肌をすべってく。
わたしの新しい指は、わたしより年上。
わたしの新しい指は、わたしよりも繊細。
わたしはすっかりきれいになる、むかしより、ずっとずっと隅々まで。わたしの新しい指が、わたしにいたずらをする。
わたしの新しい指が、わたしに恥ずかしい思いをさせる。
ああ、でも、とてもいい気持ち。
わたしの新しい手が、わたしに声をあげさせる。
新しい膝を枕にしながら、わたしはのけぞって胸をさしだす。肩のあったところに指が触れると、頭のなかで腕がふるえる。
太腿のあったところに指が触れると、頭のなかで脚がふるえる。
薄く張った皮膚と、記憶のかけら。
なくなっちゃった指の間が、なくなっちゃった膝の裏が、やさしくやさしく愛撫される。
まぼろしと現実の間で、わたしの意識はぷかりぷかり。固くなった乳首を、湧き出した泉を、わたしの指がなぞってく。
わたしの新しい指は、わたしより年上。
わたしの新しい指は、わたしよりも繊細。
わたしは何度もイってしまう、何度も、何度も、何度も…。
でもわたしの新しい手は、動くのをやめない。やめてくれない。…わたし、すすり泣いてる?
…わたし、あえいでる?
…わたし、ぼおっとしてる。
動悸がやっとおさまって、視界がだんだんはっきりする。
でもまだ、からだに力が入らない。
わたしはふわりと宙に浮く。洗面台の鏡が、わたしには姿見。全身がすっぽりおさまっちゃう。
瞳がうるんで、顔が火照って、口は半分開けたまま。いつのまにか汗だく、髪がはりついてる。
ううん、汗だけじゃない、ぐっしょりと…。
恥ずかしくて、恥ずかしくて、わたしはからだをねじまげる。
でもわたしの意地悪な腕は、わたしを鏡にかざしたまま。
からだをあちこち向けかえて、いろんなところを見せつけて、首筋が真っ赤に染まるまで。一瞬息がとまりそうだった、冷たいシャワー。
大きな、深い、洗面器。
これがわたしの、いつものお風呂。わたしは仰向け、横たわる。
わたしの新しい腕が、バスタブから熱いお湯を汲む。
一杯、二杯、三杯。
目を閉じて、わたしはすっかりお湯のなか。鼻と口、乳首を残して、お湯のなか。
ああ、とってもいい気持ち。息をとめて首をふると、耳から空気が抜けていく。音のない、深い深い海の底。
ううん、そうじゃない。
わたしは静かな、澄みきった湖に浮かんでる、ばらばらになって。
わたしのむかしの腕たちといっしょ、わたしのむかしの脚たちといっしょに。
みんな、みんな、楽しそうに泳ぎまわってる。じゃれあってる。自由になって。
あ、でも、そんなとこつまんじゃだめっ!ちゃぽん、たぷたぷ。
びくっとした拍子に、少しお湯を飲んじゃった。
わたしの新しい指は、やっぱりちょっと意地悪。引っ張らないで…。
さっきもう、あんなにいたずらしたじゃない。ふいに立ち上がる気配がする。首をもたげて目を開けると、そこにはきれいなひとがいる。
すらりとした脚の、しなやかな腕の、つんと立った胸の、とてもとてもきれいなひと。
わたしに微笑みかけながら、お風呂場のドアを開ける。
ああ、チャイムが鳴ってる。赤い光が点滅してる。お客様が来たのね。
ぱたん。
わたしは波を立てないように、そうっとそうっと頭を戻す。
目を閉じて、静かな湖面へ戻ってく、むかしなじみのみんなのとこへ。
わたしの新しい腕や脚には、しばらく別の用事があるの。* * *
お湯がすっかり冷めちゃった。
寒くはないけど…。
わたしの手足は、なかなか戻ってこない。
戻ってきたら、もう一度、熱いお湯に入れてもらうの。
それからリンスとトリートメント、いつものように。
ふかふかのバスタオルでからだを拭くの、いつものように。
顔にパックをして、髪にはドライヤー、いつものように。
ぐっすり眠れる、カモミールの香りの化粧水。全部済んだら、またやっぱり、赤い首輪をつけるのね。
鈴のついた、赤い革の首輪。わたしのベッドは籐編みの、取っ手のついたバスケット。
底にふんわり、タオルを敷いて、今夜はどこに置こうかな。
あんまり暗いところはいや。怖い夢をみるから。
ふと目を覚ましたら、知らない部屋にいた、あのときの夢。
起きあがろうとして気がついた、あのときの夢。
隣にきれいな、おおきな瓶があった、あのときの夢。
ぷんと薬のにおいがしたあの部屋はきらい。
薄暗くてひんやりしたあの部屋はきらい。
でもあの部屋は、夢じゃなかった…。ああはやく、はやく戻ってきて、わたしの新しい手足。
声をあげて呼んでも、聞こえないの。
何もできずに待っているのには、もうすっかり慣れたけれど。
させて貰えるまで我慢するのも、もうすっかり慣れたけれど。
さっきあんなにいじられたから…。
もうしたくて、したくて、たまらないの。お願いだからはやく、はやく戻ってきて、わたしの新しい手足。
朝にさせて貰ったっきりなの。
たくさん溜まってるのが、自分でもわかるの。
今しちゃったら、漏らしちゃったらきっと、お湯が鼻の上まできちゃう…。
お湯というより、もうすっかり水。
そしたら、首を起こしてないと息ができない。洗面器のなかで、溺れちゃう。わたしは我慢する、奥歯を噛みしめて。
わたしは我慢する、頭のなかで、両膝を固く閉じて。
身動きしちゃだめ、また水を飲んじゃう。頭のなかで、百まで数える。
頭のなかで、もう百数える。
もう一度。
むかし、お母さんと一緒のお風呂。あのときは、一度数えたらよかった。
わたしの身長が、今とおんなじくらいのころ。
お母さんにはもう会えない。お父さんにも、お兄ちゃんにも、クラスのみんなにも。
もう一度、頭のなかで、百まで数える。
もう一度…。だめだめだめ、だめだめ、だめ、だめ…。
あああ。
固く目をつぶる。
水が暖かくなる。
顎を上げて、口をとがらせる。
やっぱりだめ。届かない。
首をもたげて目を開ける。おしっこの色、おしっこのにおい。
はっきりわかっちゃう。きれいにしてもらったのに。
どうしよう。
おしおきされちゃう。
されてもいいから、はやく戻ってきて。
首を上げても、ぎりぎりなの。このままじゃ、ほんとに溺れちゃう。
溺れちゃったら、わたしもきっと瓶のなか。ホルマリンに抱かれて、ぷかりぷかり。
でもアンモニアはいや。ああはやく、はやく戻ってきて、わたしの新しい手足。
首がずきずきするの、お願い。
腹筋もずきずきするの、お願い。
わたしいつのまにか、また泣いてる。涙と鼻水でぐちゃぐちゃ。
もう何千も数かぞえたの、お願い。
何度もまた、水を飲んじゃったの、お願い。
おしっこ混じりの水。ああはやく、はやく戻ってきて、わたしの新しい手足。
あなたのペット、溺れかけてる。
わざとじゃないよね、こんなひどいの。
わざとだっても、もういいでしょ?
どこにいるの?お願いだからはやく、はやく戻ってきて、わたしの新しい手足。
あなたのペット、溺れかけてる。
洗面器のなかで、溺れかけてる。
自分のおしっこで、溺れかけてる。
お願い、はやく助けてあげて。
さっきまで、あんなに可愛がってた、あなたのペット。
またおしっこがしたくなってるの…。(このテキストの前半部を、な志ごれん先生に捧げます)