#1   #2    #3


 
 わたしの新しい指が、わたしの髪を梳く。
 わたしの新しい指が、わたしの髪を洗う。
 とてもいい気持ち。
 わたしの新しい手が、わたしの歯を磨く。
 新しい腕に支えられて、わたしは自分でうがいをする。
 香りのいい石鹸が、柔らかなスポンジが、わたしの肌をすべってく。
 わたしの新しい指は、わたしより年上。
 わたしの新しい指は、わたしよりも繊細。
 わたしはすっかりきれいになる、むかしより、ずっとずっと隅々まで。

 わたしの新しい指が、わたしにいたずらをする。
 わたしの新しい指が、わたしに恥ずかしい思いをさせる。
 ああ、でも、とてもいい気持ち。
 わたしの新しい手が、わたしに声をあげさせる。
 新しい膝を枕にしながら、わたしはのけぞって胸をさしだす。

 肩のあったところに指が触れると、頭のなかで腕がふるえる。
 太腿のあったところに指が触れると、頭のなかで脚がふるえる。
 薄く張った皮膚と、記憶のかけら。
 なくなっちゃった指の間が、なくなっちゃった膝の裏が、やさしくやさしく愛撫される。
 まぼろしと現実の間で、わたしの意識はぷかりぷかり。

 固くなった乳首を、湧き出した泉を、わたしの指がなぞってく。
 わたしの新しい指は、わたしより年上。
 わたしの新しい指は、わたしよりも繊細。
 わたしは何度もイってしまう、何度も、何度も、何度も…。
 でもわたしの新しい手は、動くのをやめない。やめてくれない。

 …わたし、すすり泣いてる?
 …わたし、あえいでる?
 …わたし、ぼおっとしてる。
 動悸がやっとおさまって、視界がだんだんはっきりする。
 でもまだ、からだに力が入らない。
 わたしはふわりと宙に浮く。

 洗面台の鏡が、わたしには姿見。全身がすっぽりおさまっちゃう。
 瞳がうるんで、顔が火照って、口は半分開けたまま。いつのまにか汗だく、髪がはりついてる。
 ううん、汗だけじゃない、ぐっしょりと…。
 恥ずかしくて、恥ずかしくて、わたしはからだをねじまげる。
 でもわたしの意地悪な腕は、わたしを鏡にかざしたまま。
 からだをあちこち向けかえて、いろんなところを見せつけて、首筋が真っ赤に染まるまで。

 一瞬息がとまりそうだった、冷たいシャワー。

 大きな、深い、洗面器。
 これがわたしの、いつものお風呂。わたしは仰向け、横たわる。
 わたしの新しい腕が、バスタブから熱いお湯を汲む。
 一杯、二杯、三杯。
 目を閉じて、わたしはすっかりお湯のなか。鼻と口、乳首を残して、お湯のなか。
 ああ、とってもいい気持ち。

 息をとめて首をふると、耳から空気が抜けていく。音のない、深い深い海の底。
 ううん、そうじゃない。
 わたしは静かな、澄みきった湖に浮かんでる、ばらばらになって。
 わたしのむかしの腕たちといっしょ、わたしのむかしの脚たちといっしょに。
 みんな、みんな、楽しそうに泳ぎまわってる。じゃれあってる。自由になって。
 あ、でも、そんなとこつまんじゃだめっ!

 ちゃぽん、たぷたぷ。
 びくっとした拍子に、少しお湯を飲んじゃった。
 わたしの新しい指は、やっぱりちょっと意地悪。引っ張らないで…。
 さっきもう、あんなにいたずらしたじゃない。

 ふいに立ち上がる気配がする。首をもたげて目を開けると、そこにはきれいなひとがいる。
 すらりとした脚の、しなやかな腕の、つんと立った胸の、とてもとてもきれいなひと。
 わたしに微笑みかけながら、お風呂場のドアを開ける。
 ああ、チャイムが鳴ってる。赤い光が点滅してる。お客様が来たのね。
 ぱたん。
 わたしは波を立てないように、そうっとそうっと頭を戻す。
 目を閉じて、静かな湖面へ戻ってく、むかしなじみのみんなのとこへ。
 わたしの新しい腕や脚には、しばらく別の用事があるの。

     *     *     *

 お湯がすっかり冷めちゃった。
 寒くはないけど…。
 わたしの手足は、なかなか戻ってこない。
 戻ってきたら、もう一度、熱いお湯に入れてもらうの。
 それからリンスとトリートメント、いつものように。
 ふかふかのバスタオルでからだを拭くの、いつものように。
 顔にパックをして、髪にはドライヤー、いつものように。
 ぐっすり眠れる、カモミールの香りの化粧水。

 全部済んだら、またやっぱり、赤い首輪をつけるのね。
 鈴のついた、赤い革の首輪。

 わたしのベッドは籐編みの、取っ手のついたバスケット。
 底にふんわり、タオルを敷いて、今夜はどこに置こうかな。
 あんまり暗いところはいや。怖い夢をみるから。
 ふと目を覚ましたら、知らない部屋にいた、あのときの夢。
 起きあがろうとして気がついた、あのときの夢。
 隣にきれいな、おおきな瓶があった、あのときの夢。
 ぷんと薬のにおいがしたあの部屋はきらい。
 薄暗くてひんやりしたあの部屋はきらい。
 でもあの部屋は、夢じゃなかった…。

 ああはやく、はやく戻ってきて、わたしの新しい手足。
 声をあげて呼んでも、聞こえないの。
 何もできずに待っているのには、もうすっかり慣れたけれど。
 させて貰えるまで我慢するのも、もうすっかり慣れたけれど。
 さっきあんなにいじられたから…。
 もうしたくて、したくて、たまらないの。

 お願いだからはやく、はやく戻ってきて、わたしの新しい手足。
 朝にさせて貰ったっきりなの。
 たくさん溜まってるのが、自分でもわかるの。
 今しちゃったら、漏らしちゃったらきっと、お湯が鼻の上まできちゃう…。
 お湯というより、もうすっかり水。
 そしたら、首を起こしてないと息ができない。洗面器のなかで、溺れちゃう。

 わたしは我慢する、奥歯を噛みしめて。
 わたしは我慢する、頭のなかで、両膝を固く閉じて。
 身動きしちゃだめ、また水を飲んじゃう。

 頭のなかで、百まで数える。
 頭のなかで、もう百数える。
 もう一度。
 むかし、お母さんと一緒のお風呂。あのときは、一度数えたらよかった。
 わたしの身長が、今とおんなじくらいのころ。
 お母さんにはもう会えない。お父さんにも、お兄ちゃんにも、クラスのみんなにも。
 もう一度、頭のなかで、百まで数える。
 もう一度…。

 だめだめだめ、だめだめ、だめ、だめ…。

 あああ。

 固く目をつぶる。
 水が暖かくなる。
 顎を上げて、口をとがらせる。
 やっぱりだめ。届かない。
 首をもたげて目を開ける。おしっこの色、おしっこのにおい。
 はっきりわかっちゃう。

 きれいにしてもらったのに。
 どうしよう。
 おしおきされちゃう。
 されてもいいから、はやく戻ってきて。
 首を上げても、ぎりぎりなの。このままじゃ、ほんとに溺れちゃう。
 溺れちゃったら、わたしもきっと瓶のなか。ホルマリンに抱かれて、ぷかりぷかり。
 でもアンモニアはいや。

 ああはやく、はやく戻ってきて、わたしの新しい手足。
 首がずきずきするの、お願い。
 腹筋もずきずきするの、お願い。
 わたしいつのまにか、また泣いてる。涙と鼻水でぐちゃぐちゃ。
 もう何千も数かぞえたの、お願い。
 何度もまた、水を飲んじゃったの、お願い。
 おしっこ混じりの水。

 ああはやく、はやく戻ってきて、わたしの新しい手足。
 あなたのペット、溺れかけてる。
 わざとじゃないよね、こんなひどいの。
 わざとだっても、もういいでしょ?
 どこにいるの?

 お願いだからはやく、はやく戻ってきて、わたしの新しい手足。
 あなたのペット、溺れかけてる。
 洗面器のなかで、溺れかけてる。
 自分のおしっこで、溺れかけてる。
 お願い、はやく助けてあげて。
 さっきまで、あんなに可愛がってた、あなたのペット。
 またおしっこがしたくなってるの…。

               (このテキストの前半部を、な志ごれん先生に捧げます)



Back   TOP